変化は進化
筆者は釧路という街の、端っこの方のど田舎で中学まで過ごしました。ボクシング🥊をやりたかったのですが、近隣にジムはなく、当時母は免許も無く、おまけにやたらと心配性で、『格闘技は絶対にダメ』😡と言われていました。高校に上がると、通学の面から、憧れの『鉄北地区』と呼ばれる駅裏地域に引っ越すこととなりました。
コンビニ🏪がある。ファーストフード🍟🍗🍔がある。夜道が明るい💡。少しハイカラな気分になった記憶があります。そして近くにはボクシングジム🥊がありました。しかしながら、両親の反対で入門はできず、進学先で部活をすることとなりました。高校でも羽根球🏸を続けました。とりあえず道東地区では敵無しでした。少年時代にスピードスケートをやっていて、体力自慢だった自分にアイスホッケー🏒部の顧問が声をかけてくれて、羽根球と二足の草鞋で、学生時代はずっと運動をしていました。スケートには自信がありましたが、アイスホッケー🏒という競技ははじめてで、ぶつかったり転ばせたり、パックを相手の顔めがけて打ったり、時には殴り合ったり、とても刺激的な要素があってハマってしまいました。
高校を卒業してからは、周りから実業団を目指した方が良いと言われていた羽根球をあっさりやめ、ハマってしまったアイスホッケー🏒を続けました。同時期に、社会人のクラブチームを作るのでと誘われて、サッカー⚽️のチームにも入りました。アイスホッケーはおもしろい。どハマりして、釧路の1部まで昇格しました。2部までは社会人の趣味的要素が強かったのが、1部になると、プロを引退した外国人選手がウヨウヨいる。スケート靴を履くと2メートル級の怪物が、チェックやパックを顔面に食らって、前歯のない状態で。アイスホッケーが仕事という連中は、確実に相手を壊しに来る。スケート靴を履いても170センチそこらの筆者は、いつももみくちゃにされていた。それでもリーグ2位というところまで頑張ったが、もし1部で優勝してしまうと実業団入りして、もっとヤバい奴らがいるのかと想像してしまい、「もうムリ」と退部をした。いとこと新しいチームを作って5部から出直したが、また2部まで昇格したので、あとは任せたよと言ってアイスホッケーはここでやめることとなった。
同時期にやっていたサッカー⚽️は?というと、これも順調だった。6部からのスタートで、2年間負けなしで1部に昇格。北海道リーグに昇格する大会の出場権を獲得し、決勝では当時名門の札幌トヨタに筆者の決勝ゴールで勝利してしまい北海道リーグに昇格してしまう。スポンサーがなかったので備品や遠征費は全て自費。遠征の長期休暇も、入社したての筆者の有休では追いつかず、退部することとなった。
気がつけば筆者は社会人。実家を出て1人暮らしをしていたので、ボクシングを始めようと考えた。でもボクシング選手の寿命は短い。どうしたものかと思っていた時、キックボクシングをやっているという知人と出会い見学に行くことにした。見学初日に体験を勧められ、グローブとヘッドギア(スーパーセーフ)を着用。190センチのロシア人といきなりスパーリング。気がつくと天井の電気が見えて、スーパーセーフをしていたはずなのに、多量のはなぢが出ていた。聞くと20秒ほどで、膝蹴りをくらって、真後ろに倒れたという事らしい。痛いとか悔しいとか、そんな感覚ではなく、『強くなりてー』という感覚から、この日入門を決めた。
続きはまた今度。
変化は進化している証拠という事だと思います。
さあて、今年の稽古は本日を入れてあと2回となりました。
近々の行事は、来週稽古納め&レクレーション。元旦寒稽古。冬合宿。そしてハルトのグラチャンです。体調管理をしっかりしましょう。そして、冬休み中は、冬型の事故にも留意してくださいよ!
〜UZA〜
0コメント